やあ相棒、今日は今年の9月6日に発売されたTRPG『トーキョーN◎VA THE AXLERATION』について紹介しよう。公式のジャンルは「サイバーアクションTRPG」。いわゆるサイバーパンクな世界でスタイリッシュに映画的な活躍をするゲームだ。
紹介するといっても、ベテランキャストではないので、あくまで「こんな感じのゲームだよ」という新参キャストが感じたイメージに過ぎない。設定的な解釈の突っ込みどころ、TRPG的な考えの違いには目を瞑ってほしい。
●ニューロエイジ
トーキョーN◎VAの世界は「ニューロエイジ」という新時代を意味する名で呼ばれている。
荒廃した自然環境と、再び訪れた氷河期、突如現れた新種ウイルスの蔓延によって、人口の大半を失ってしまった未来の地球、それがニューロエイジになる。
このような状況に至った出来事は「災厄」「小災厄」と呼ばれ、発生した原因は(表向き)明らかとなっていないが、N◎VAの地球が原型を止めていないことだけは確かな真実だ。大陸の形も、場所すらも、ポールシフトによって乱れてしまっている。当然ながら、従来の国家という概念は崩壊した。
国家崩壊後の地球で覇権を握ったのは、軌道上で生活していた上流階級や複合企業体だ。とりわけ中枢機能を軌道に移し、バイオテクノロジーによる合成食糧技術を手にした日系企業の躍進は目覚ましく、瞬く間に地球は「日本」が頂点に立つ世界となった。
それから幾許かの時が過ぎ、現在のニューロエイジには「メガプレックス」と呼ばれる巨大都市が複数建造され、生き残った人類はそれに縋るようにして生命を繋いでいる。その中でも代表的なのが、「災厄」によって干上がった旧東京湾上に建造された「東京都新星市」だ。
またの名を「トーキョーN◎VA」と呼ぶ。
●トーキョーN◎VA
バイオテクノロジーと日系企業によって世界を掌握した日本だが、災厄時の影響で国土が移動し、赤道直下を治めたことで豊かな地盤をも確立している。現在は結界技術と強大な軍事力によって本土を閉ざし、事実上の鎖国状態に突入している。この世界最大のブラックボックスになるわけだ
そんな日本にも、1つだけ外に開けている都市がある。それこそがトーキョーN◎VAだ。
全長3000mにも及ぶイワヤトビルを中央に据えたニューロエイジ最大規模のメガプレックス。
世界各地の企業や犯罪組織が流入し、交易と犯罪が日常的に発生する混沌の街。
行政は住民をランク分けすることはしても、生活に必要な恩恵を与えることは少なく、各種企業が商品として販売している「サービス」を買うことでしか日常の維持はままならない。
金があればあるほど充実した生活やサポートを受け、中枢区画の「ホワイトエリア」や、高級住宅街の「グリーンエリア」で暮らすことができるが、金がないのであれば市民扱いされない「Xランク」にでもなって、ヤクザやマフィア、ギャングが闊歩する無法の「レッドエリア」にでも住むしかない。
一般人ならば、そこそこ平和な「イエローエリア」辺りが限界だろう。
そんな、あらゆる文化と階級と犯罪が入り混じる都市、それがこのゲームの主な舞台となる。
●キャスト
さて、ゲームには大体「その作品で遊ぶための立場」がある。
ファンタジーなら冒険者、SFならミュータントを駆逐するスカベンジャー、現代物なら掛け替えのない日常を守る異能者達、といったポジションのことだ。
トーキョーN◎VAでプレイヤーはどんな立場になるのかというと、例えば暗殺命令を与えられて北米からN◎VAに入ったマフィア構成員、N◎VAアサクサの片隅で事務所を開く探偵、特務警察ブラックハウンドとして殺人事件を捜査する警官、あるいは旧式の義体を纏って「過去から来た」等と吹聴する若者などが挙げられる。
……そう、実のところN◎VAというゲームでは「プレイヤーの厳密な立場」というのが定義されていない。
ポジションとしては「物語の中心人物」といったところだろうか。
学園ラブコメでいう「正直主人公に魅力はないのに、何故かフラグ乱立してモテモテになってしまう不思議感」に近い。いや、もちろん魅力を持った主人公でも全然構わないし、先の例に深い意味はない。
要は偶然事件に巻き込まれたり、あるいは身近な人間がキーパーソンとして陰謀に関わっていたり、はたまた自ら歩んだ人生に起因するイベントだったりと、何かしらの因縁を持ったことで、それに関わって物事を処理することになる人々のことだ。
N◎VAにおいてプレイヤーキャラクターのことを「キャスト」と呼び、1回のセッションのことを「アクト」と呼ぶが、これは映画的なゲームであることも関係している。キャスト達は最初からチームとして行動しているわけではなく、個人的動機から事件に介入した結果、協力しあうことになった一期一会的な集団だ。
事件に巻き込まれた者、事件を捜査する者、犯人に個人的因縁を持つ者など、相容れない価値観・立場を持った者同士が時に協力し、時に擦れ違いながら、協力してエンディングを目指す。
そんな光景を言葉で表現するならば「この街で生活している人々をやるゲーム」だ。
一見作成し辛いように見えるが、もちろん、それをサポートするための環境はある。
例えば、キャスト達がどのように生きてきたのか、そして生きていくのか、という生き様を表現する「スタイル」という概念や、ゲーム・ロール的に変革をもたらす決定的な切り札、「神業」の存在だ。
この辺りは気が向いたら続きで書いてみようと思う。
とりあえずはこんなところで終わろう。――XYZ。